モノ作りへの情熱を胸に、総合電機メーカーで半導体一筋に約30年。技術者として日々、最先端の技術と向き合う生活は、私にとって大きな喜びでした。
しかし、管理職への昇進を機に、日々の業務が書類や会議に費やされるようになり、直接モノ作りに携わる機会が激減しました。これまで胸を焦がしていた技術への情熱が、少しずつ冷めていくのを感じたのです。
直接手を動かすことが減り、書類や会議に追われる日々。50代も半ばに差し掛かり、この先の人生を考えたとき、新たな挑戦をしたいという気持ちが膨らみました。
そんな折、会社が早期退職制度を募集していることを知りました。退職金の割り増しという魅力的な条件も手伝い、私は長年勤めた会社を辞める決断をしました。
安定した生活を捨て、未知の世界へ踏み出すことへの不安はありましたが、それ以上に「自分の手で何かを生み出したい」という強い思いが勝りました。私の第二の人生の幕開けです。
初めての農業挑戦、厳しさを知る
会社を辞めた後、実家にある畑を思い出し、かねてから興味のあった農業を始めることにしました。幸い、県の就農支援制度があり、1年間、専門的な野菜栽培の技術や知識を学ぶことができました。土に触れ、作物が育っていく過程を間近で見る日々は、まさに「モノ作り」の原点に立ち返るようで、大きな充実感がありました。
研修を終え、いよいよ本格的に野菜の出荷を始めました。汗水流して育てた野菜が市場に並び、消費者の手に渡る。その喜びは、サラリーマン時代とはまた違った格別のものです。
しかし、現実は甘くありませんでした。天候に左右されやすいこと、思った以上に経費がかかること、そして何よりも、農業だけで生活できるほどの収入を得るのが難しいことを痛感しました。1年間、懸命に努力しましたが、このまま続けるのは厳しいと判断し、泣く泣く農業を諦めることにしました。
50代の再就職活動、厳しい現実
農業から撤退した私は、再びサラリーマンとして再就職を目指しました。今までのキャリアを活かし、管理職としてのマネジメント経験を最大の強みとしてアピールしました。部下60名をまとめた組織運営の経験は、どの会社でも通用するはずだと信じていました。
しかし、私の思いとは裏腹に、再就職活動は想像を絶するほど厳しいものでした。送った履歴書や職務経歴書は、何十社送っても書類選考で不合格の通知ばかり。面接にすらたどり着けない日々が続きました。年齢の壁が立ちはだかっていることを肌で感じました。
大手企業からベンチャー企業まで、様々な求人に応募しましたが、50代半ばという年齢は、大きなハンディキャップでした。半導体技術者としての専門性や管理職としての経験も、この年齢ではなかなか評価されないという現実を突きつけられました。
第二種電気工事士の資格が道を拓く
何十社受けても書類すら通らない絶望の中で、ふと頭に浮かんだのが、10年前に取得した第二種電気工事士の資格でした。当時、興味本位で取得した資格ですが、電気工事の需要は常にあり、中小企業では特に人手不足だと耳にしていました。ダメ元で、この資格を活かせる中小企業の求人に応募してみることにしました。
すると、驚くことに書類選考を通過し、面接までこぎつけることができました。面接で私は、正直に今までの経歴と、農業挑戦、そして再就職活動の苦戦を話しました。
社長は私の話に真剣に耳を傾けてくれ、「現場作業員として電気工事をしてもらうには、体力的に厳しいかもしれません。しかし、あなたのマネジメント能力は、若い現場作業員をまとめる管理職として、非常に貴重な財産です。その能力を発揮してくれるなら、ぜひ採用したい」と言ってくれました。
私も体力的な限界を感じていたため、管理職としての採用を承諾しました。技術者としてではなく、資格とマネジメント能力を活かした新たなキャリアの始まりです。
その後、私はその会社で人事部部長を務めるまでになりました。これまでの経験が、予期せぬ形で活かされることになったのです。
キャリアは一本道ではない
最終的に64歳で、その会社を退職しました。私のキャリアは、技術職から管理職、農業、そして再び電気工事の管理職という、決して一本道ではありませんでした。
何度も挫折を経験し、年齢の壁にぶつかりました。しかし、その都度、自分の中に眠っていた新たな可能性や、過去の経験が思わぬ形で活かされることを知りました。
早期退職、農業、そして第二種電気工事士という意外な資格。これらがなければ、今の私はありません。
人生の後半戦で、私は「キャリアは計画通りに進むものではなく、自分の経験やスキル、そして何よりも挑戦する心があれば、新たな道は必ず開ける」ということを学びました。
まとめ
私の体験談は、50代からの転職や再就職が厳しい現実を物語っています。しかし、その一方で、過去の経験や、一見すると仕事とは無関係に思えるような趣味で取得した資格が、人生の大きな転機となる可能性があることを示しています。
年齢を理由に諦めるのではなく、自分の強みを再確認し、あらゆる可能性を探求することが重要です。
また、農業という全く異なる分野への挑戦は、金銭的には成功しませんでしたが、私に「モノ作り」の喜びと、自然の厳しさ、そして感謝の気持ちを教えてくれました。無駄な経験など、人生には一つもないのだと、改めて感じています。
人生100年時代と言われる現代、キャリアは会社に依存するものではなく、自分自身で創造していくものです。年齢に関係なく、学び続け、挑戦し続けることが、豊かな人生を築く鍵になると信じています。

 
  
  
  
  
